こんにちはケチャッピーです。
携帯からです。
満員電車で読書してたら、自然に読書習慣ついた!元々はどうやったらストレスなく電車で過ごせるかを考えた結果でしか無かった。
継続することによって、歯磨きと同じレベルまで落とし込めた。
だから、最近は本読まないにしても活字見てないとなんか落ち着かん。
くれぐれも情報メタボにしてもならないように、インプットしてはアウトプット。
それをひたすらに心がける。
前置きしすぎると永遠に前置きするので、お金について話します。
最近は、お金の事について書いてある本を読むことが多いです。働いて、お金を貰うって事になんか疑問を持ち始めたから。
スピリチュアルな事を言っているつもりはありませんが結論として、
お金という物質が存在してる事によって人々は修行させられている。
という風な結論に至りました。
ホリエモンの本とか、税金の本とか色々と読んだ。
お金は信用を数値化したもの
どれも大体こんな事が書いてある。
物々交換→石のお金→金貨→今のお金→キャッシュレス移行という流れにより、現在までやってきた。
この人は、これだけの信用があるから、代わりに商品を渡します、という取引。
クレジットカードがあれば難なく生活できる。稼いだ給料が振り込まれて、カードで売掛にしておいたら、来月の給料日後に引き落とされて。。
ただ数字のデータがピコピコと増えたり減ったりしてるだけ。
まだまだ現金は無くなりそうにない。けど気付いてる人は本を読んだり実体験の中で気付いてる。
もし、お金という概念が無かったら今のシステムは崩壊して、色んな物のレベルが下がる。
何の苦労も無しに、誰もが一様に同じサービスを受けられるようになるから。
お金がある事で、定量化され、差別化されわかりやすい世界になる。
このお金を使って今後どのように生きていくかが問われている。僕はある種の修行のように感じる。
悪い使い方をすれば、信用はマイナスになって、お金=信用なので、お金は減る。
逆に良い使い方をすれば、信用はプラスになり、同様にして、お金は増える。
じゃあ良い使い方って何なのか?と言う事を常に考え続けていて、答えっぽいのがでた。
サービスに対して、きちんと支払うこと。
これだと思う。
少し話は逸れるが、昔から募金をしている。
(ユニセフや、東日本大震災)
僕は、お金を持つと全て使ってしまうタチなので少しでも、、という気持ちで募金していた。
しかし、例えコンビニからの募金だとしても、果たしてどういった形で届いているのかがわからない。
だから、この前仙台に旅行に行って、その土地でその地域にお金を落として来た。
募金を否定しているわけではないが、募金で信用を投げっぱなしにせず、現地に行って現状を知る。お金を使う。現状を周りの友人に伝える。
他にも色々あると思うが、これが、本当に良い使い方ではないか?と思う。
最初の結論に戻るけど、このような考えから、どうやって稼いで、どんな使い方をするかが試されている、と導き出しました。